スケッチをしてアートについて語り合おうというイベントに参加するはずだったのですが
会場についてみると何の手違いだったのか若者のデートイベントだったのです😂😂
そのまま去らずに皆のデートの裏話をきいたり、励ましたり、結婚のアドバイスをしたり、それはそれで面白かったのですが
同じ日時と会場だったのに、何だったんだろう…😦
たまたま会場の近くのファリンドンをうろうろしていて
中世っぽい建物を発見したので入ってみることにしました。
チャーターハウスという
ロンドン塔に匹敵する歴史的に重要な元修道院でした!
現在は慈善団体が運営する救貧院。資金作りのため敷地内に設けられた高級アパートなども貸しているそうです。
重要な見どころにアクセスできるのは
ツアー(有料20ポンド)参加者に限られます。
14世紀の修道院回廊の説明を受けているところ。
救貧院の居住者の方がガイドを引き受けています。
14世紀から目まぐるしい歴史の移り変わりの舞台となったチャーターハウス。
全部書いてると冒頭に「このブログは5時間で読めます」と注訳入れて
誰も読まなくなるので😂ここで起こった最も有名な出来事に絞ります!
チャーターハウスの始まりは
1348年にヨーロッパ人口の約半分を失ったと言われている
パンデミック(Black Death)の犠牲者を大量埋葬する埋葬施設でした。
死者を弔う教会が進化してカソリック教の一派、カルトジオ会の修道院に。
暴君で知られるチューダー朝イングランド王ヘンリー8世が
カソリック教徒は離婚が許されないので
最初の妻と離婚できるよう宗教改革でプロテスタントのイングランド教会を設立。
(二人目の妻、アン ブーリンは後に女王エリザベス1世となる娘を出産しましたが、跡取り息子を出産できなかったのを理由に斬首刑、そんなんありか💦)
チャーターハウスの僧たちはヘンリー王を教会の長と認めるのを拒否したため
10人の僧たちが残酷な方法で処刑となりました。
この部屋は親戚、いとこと王権争いの末
女王として君臨することになったエリザベス1世が
会合や戴冠式の準備などに使用していたといわれています。
(ちなみにエリザベス2世は去年亡くなられたエリザベス女王でーす)
お父さんがお母さんを斬首刑にしたことを経験しているエリザベス1世は
自分の身を案じてありとあらゆるところにスパイを張り巡らせていたそうです。
チャーターハウスを買い取ったトーマス ハワード(第4代ノーフォーク公爵)は
女王としての復位を望んだメアリー スチュアートとの婚約騒動で
ロンドン塔での幽閉からチャーターハウスで自宅監禁の身に。
自宅監禁中にエリザベス1世の暗殺を企てたメアリーからの暗号化した手紙が
邸内で見つかり、処刑となりました。
施したもので、装飾の中にメアリーへの愛の詩が織り込まれていて
スパイを通じて知ったエリザベス女王の不信感を一層かきたてたそう。
グレート ホール内の暖炉。
ロンドン大空襲でチューダー朝の建物の大部分が破壊されましたが
この中庭のようにまだ残っている部分もあります。
16世紀の建物でも
現在も救貧院の居住スペースとして使われています。
関係者、ツアー参加者、救貧院居住者のみがアクセスできる
手入れの行き届いた中庭。
藤と椿、ハンカチーフ ツリーと呼ばれる白い布のような花が咲く木。
修道僧を追い出した後
ヘンリー8世の狩りの道具の収納場や賃貸住宅として使われた後
16世紀半ばにエドワード ノースが買い取り大邸宅として改装。
上写真のグレート ホールが設けられました。
現在は救貧院居住者の食堂として使われています。
救貧院の入居条件は
身寄りがないこと、財産がないことを書類で証明できれば承認されるそうです。
キリスト教徒でなくても入れるそうです。
ロンドンの一等地で死ぬまで面倒見てもらえるのに
入居者が38人しかいないというのも謎なのですが…
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